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福岡地方裁判所 平成6年(行ウ)18号 判決

原告

乙山花子

右訴訟代理人弁護士

河辺真史

被告

北九州東労働基準監督署長白壁勝典

右訴訟代理人弁護士

中野昌治

右指定代理人

西沢繁官

森山勝馬

上田浩司

内野健一

江島弘光

篠原京子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して昭和六二年四月三日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取り消す。

第二事案の概要

ダンボールの配送業務に従事していた亡乙山一郎(以下「一郎」という。)は、昭和六一年七月四日の勤務時間中、配送先会社において高血圧性脳出血の一つである橋出血のために倒れ、同月五日午前一時四四分、搬送収容先の病院で死亡したため、一郎の妻である原告が被告に対して遺族補償給付及び葬祭料の請求をなしたが、被告は一郎の死亡について業務起因性を認めず、これらについて不支給処分をなし、福岡労働災(ママ)害補償保険審査官は右処分の審査請求を棄却し、労働保険審査会は右決定の再審査請求を棄却した。

本件は、原告が、被告の右不支給処分の違法性を主張してその取消しを求めている事案である。

一  争いのない事実

1  当事者

原告は、昭和六一年七月四日、仕事先の下関物産株式会社倉庫内において橋出血を発症(以下「本件発症」という。)して倒れ、同月五日午前一時四四分死亡した一郎の妻である。

2  一郎の死亡について

一郎は昭和六〇年二月ころにオカジ株式会社(以下「本件会社」という。)に入社し、北九州市門司区にある本件会社門司工場(以下「門司工場」という。)に勤務し、発送係としてダンボールパッキングケース(以下、単に「ダンボール」という。)の運送業務等に従事していたが、同六一年七月四日、会社の取引先である山口県下関市所在の下関物産株式会社(以下「下関物産」という。)にダンボール二〇六枚を納品に行った。

同日午後四時三〇分ころ、下関物産の社員大里三紀男が同社の二階倉庫へ通じる通路を通行中、一郎が当該通路に仰向けに崩れるように足を横にして倒れているのを発見した。一郎は頭や顔から出血している様子はなく、呼吸をし、脈拍もあったが、目を完全につむり、名前を呼びかけても返事がなかったので、大里らは直ちに救急車を呼んだ。

一郎は救急車にて下関市立中央病院に搬送収容され、治療を受けたが、同月五日午前一時四四分、高血圧性脳出血の一つである橋出血のため死亡した。

3  労災保険給付請求等

(一) 原告は、被告に対し、昭和六一年一〇月六日ころ、遺族補償給付及び葬祭料の請求をなしたが、被告は、同六二年四月三日、原告に対し、右を支給しないとの処分(以下「本件処分」という。)をした。

(二) 原告は本件処分を不服として、福岡労働災(ママ)害補償保険審査官に対して審査請求をなしたが、同審査官は平成二年二月二一日付で右審査請求を棄却する旨の決定をした。

(三) 原告はさらに右決定を不服として、平成二年五月二日に労働保険審査会に対し、再審査請求を申し立てたが、同審査会は同六年二月三日にこれを棄却する旨の裁決をした。

二  争点及びこれに対する当事者の主張

一郎の死亡が業務に起因するものといえるか否か

(原告)

一郎は本件会社において年間一一〇〇時間を超える時間外労働をこなすなど、重労働に従事していたのであって、以前から高血圧の症状が認められていたものの、本件会社における右重労働により一郎の右症状が増悪して本件発症に至ったものであって、本件会社における一郎の業務と同人の橋出血発症及び死亡との間には因果関係が存する。

(被告)

一郎の日常業務はもとより、本件発症前一週間以内に従事した業務も特に過重であったとはいい難い上、本件発症直前に業務に関連する突発的かつ異常な出来事が発生した事実もないのであるから、一郎の本件発症による死亡は同人の基礎疾病である高血圧症が自然に増悪した結果によるものというべきであり、一郎の死亡に業務起因性は認められない。

第三争点に対する判断

一  業務起因性の判断基準

労働基準法七九条及び八〇条は労働者が業務上死亡した場合の遺族補償及び葬祭料について規定し、労災保険法一二条の八、一六条、同条の二ないし九並びに一七条はこれを受けて遺族補償給付及び葬祭料について定める。

右労働者の死亡が業務上のものといえるか否か、すなわち業務起因性の有無は業務と死亡の原因となった疾病との間に相当因果関係が認められるか否かによって判断すべきところ、右判断に当たっては労働者の発症をもって業務に内在する危険が現実化したものと評価できるか否かの観点から検討を加える必要がある。

右の理は、死亡した労働者に高血圧症の基礎疾病が存在し、右労働者が脳血管疾患を発症して死亡に至った場合にも妥当するものである。

二  本件発症に至った経緯

1  一郎が本件発症に至った経緯について

(一) 本件会社の勤務体制

本件会社は和歌山県海南市に本社を構え、和歌山、豊橋、門司の工場でダンボールを製造し、これを販売していたものであるが、一郎が勤務していた門司工場においては、レンゴーサービス株式会社からダンボール板を購入して組立、製箱し、印刷を施した上購入先に配送していた(争いがない)。

本件会社の就業時間は、午前八時から午後五時であり、休憩時間は午前一〇時から同一〇時一〇分まで、正午から午後一時まで及び午後三時から同三時一〇分までであり、休日は日曜、祝日並びに第一及び第三土曜日であった(〈証拠略〉)。

(二) 一郎の担当業務

(1) 一郎は昭和六〇年二月ころ本件会社に入社し、門司工場の製造課発送班に配属されたが、五名で構成される発送班のうち、班長が配送計画を作成し、一名が工場でのリフト作業に従事しており、配送業務の八〇パーセントを占める花王株式会社九州工場への配送を専属の社員一名が行い、一郎を含む二名がその他の得意先と個人注文の配送を担当していた(〈証拠・人証略〉)。

配送範囲は、北九州市内、田川、下関、大分、四国と大体決まっていた。配送は会社のトラックを使用し、四国への配送は二名、他の地域への配送は一名で行っていた。一郎は主に北九州市内、田川、下関、大分、四国の各納品先にトラックを運転して配送する業務に従事していた(争いがない)。

(2) 一郎は、昭和四八年から同五三年までの間、本件会社がダンボールを購入しているレンゴーサービス株式会社に勤務してダンボールの配送業務に従事しており、右業務には習熟していた(争いがない)。

門司工場における一郎の業務内容は、一トン、一・五トン又は二トンのトラックにダンボールの束を積み込み、各納入先まで運搬・配送するというものであり、積み込み作業は勤務時間内に行われ、その内容は、リフト係の運転するフォークリフトによってトラック荷台まで運ばれたダンボール束を奧から順次積み上げてゆくというものである(〈人証略〉)。

一郎は、大分のクロレラ株式会社(以下「クロレラ」という。)に一週間に二回の割合で、愛媛県松山市所在の四国ルナ物産(以下「ルナ物産」という。)にも一か月に一回の割合でそれぞれ配送しており、大分への配送の場合は、通常午前三時に門司工場を出発して同日中の午前一一時三〇分ころに帰社していた。また、四国への配送は通常午後八時三〇分に門司工場を出発し、途中フェリーを乗り継いで往復し、翌日の午後一〇時三〇分ころ帰社していた(〈証拠・人証略〉)。

四国と大分を除く他の地域の配送業務については前記本件会社の就業時間のとおりである(争いがない)。

(3) 一郎は、自ら希望して休日出勤や早出、残業を行っていた。一郎は休日出勤してダンボール製造を手伝うことはあったが、その業務内容は、梱包されたダンボールをパレットに積み込むという軽作業であった(〈証拠・人証略〉)。

2  一郎の発症前三か月の勤務状況(争いがない)

一郎が出勤した日数は休日労働六日を含め七七日であり、時間外労働は休日労働を含め二四二時間四九分であった。

3  一郎の発症前一週間(昭和六一年六月二七日から同年七月三日まで)の勤務状況

(一) 一郎は(ママ)発症前一週間の勤務状況は、四国行き一回、大分行き二回、市内配送三回というものであり、所定休日が一日あった(争いがない)。

(二) 六月二七日、同二八日及び七月二日に従事した市内等への配送業務は、配送地域及び配送先が一定したものであり、一日の配送件数は四件程度で、配送所要時間は五時間程度であった(〈証拠略〉)。

(三) 六月三〇日及び七月三日に従事した大分への配送業務は、午前三時に会社を出発し、同一一時二〇分前後に帰社したものであるが、帰社後、退社までの五ないし六時間の間において業務に従事したとする記録はない(〈証拠略〉)。

(四) 六月三〇日から七月一日にかけて従事した四国への配送業務は、午後八時三〇分に門司工場を出発し、翌日午後一〇時三〇分ころ帰社したものであるが、往路午後一〇時から翌日午前五時までの約七時間及び復路午後三時三二分から午後六時までの約二時間三〇分は、それぞれフェリーボートに乗船していたものであり、また、配送先であるルナ物産において、荷下ろしを終了した午前八時三〇分から午後三時三二分までの約六時間(ただし、復路における推定運転時間一時間を除く。)はこれら乗船時間を含む約一五時間三〇分の時間帯において、一郎が乗船手続等を行った以外に業務に従事した記録はない(〈証拠・人証略〉)。

4  一郎の発症当日の勤務状況等

一郎は、発症当日の昭和六一年七月四日、平常どおり午前七時四八分に出社した(争いがない)。

一郎は、午前九時四二分に北九州市内の二軒の取引先に配送に出かけた。途中、ヤマスイ食品に九五三枚のダンボールを約三〇分かけておろし、午後三時三九分に下関物産に到着した(〈人証略〉)。一郎はダンボール二〇六枚を下関物産の二階倉庫へ運び終え、同日午後四時三〇分ころ、通路に倒れているところを下関物産の社員大里三紀男に発見されている(〈証拠略〉)。一郎が下関物産に配送した右ダンボール二〇六枚は、二〇枚を一束とし、大きさは八六センチメートル×五九センチメートルで、一束の重量は約一五キログラム程度であった(〈人証略〉)。

5  一郎の平素の身体状況及び基礎疾病の有無について

一郎は本件発症前から高血圧症の基礎疾病を有しており、昭和五九年八月二一日の定期健康診断結果における血圧値は、最高二六〇、最低一六〇であり、昭和五九年九月五日から、同年一二月二八日まで慢性肝炎、高血圧症で慈恵曽根病院に入院した際に測定した血圧値は、九月五日が最高二二〇、最低一一〇であり、一一月五日には最高一四二、最低九八で、左室肥大の所見があった(〈証拠略〉)。

昭和六〇年一月四日に九州労災病院の初診を受け、同年一月八日から同月三一日まで、過敏性腸症候群、高血圧症で入院した後、同年二月五日に通院しているが、右初診時に測定した血圧値は最高二三〇、最低一四〇であり、二月五日までに数回測定した血圧値は概ね最高一六〇ないし一七〇程度、最低一一〇ないし一二〇程度であった(〈証拠略〉)。

昭和六〇年八月一〇日、本件会社における定期健康診断の結果では、血圧値最高一四二、最低八八であり、血圧経過観察の注意事項が付されていた(〈証拠略〉)。

また、一郎は一日三〇本くらい喫煙し、酒類は好んで飲んでいた(〈証拠略〉)。

三  一郎の死亡原因

一郎は、昭和六一年七月四日午後四時三〇分ころ橋出血を発症し、同月五日午前一時四四分に右発症を原因として死亡している(〈証拠略〉)。

橋出血とは、延髄と中脳の間にある「橋」の部分の出血であり、典型例では急激に昏睡に陥り、著明な血圧上昇、四肢麻痺を呈し、瞳孔は左右とも極度に縮小して前方凝視すると共に、急速に呼吸循環障害が進行して、過高熱、呼吸異常を来し、急性死亡するものが多いとされる。橋出血は高血圧性脳出血(以下「脳出血」という。)の一つといわれ、右脳出血の最大の危険因子は高血圧であると認められる(〈証拠略〉)。

四  一郎の基礎疾病

昭和六〇年八月一〇日の定期健康診断時の一郎の血圧は、最高一四二、最低八八であり、血圧経過観察の注意事項が付されている程度であった。しかし、同五九年八月二一日の定期健康診断時の血圧は最高二六〇、最低一六〇であり、同年九月五日、慢性肝炎、高血圧症のため入院した際の血圧は最高二二〇、最低一一〇、同六〇年一月四日、過敏性腸症候群、高血圧症のため入院した際の血圧は最高二三〇、最低一四〇であること(前記二5)から、一郎が高血圧症の基礎疾病を有していることが認められる。

一郎は右のとおり高血圧症で診察を受け、医者から降圧剤の処方を受けていたが、降圧剤を使用すると嘔吐感を覚えることからこれを継続して服用しなかったこと(原告本人)、右の経過で自己の高血圧症について十分認識しており、度々頭痛を経験していたことからも、高血圧症による脳血管疾患が疑われるにもかかわらず(〈証拠・人証略〉)、発送班長等上司に自己の高血圧症について告げないまま業務を継続していたものである(〈証拠・人証略〉)。

五  一郎の業務内容

一郎の業務内容はトラックによるダンボールの配送業務であり、一郎自身本件会社に勤務する以前に数年間にわたって同種業務に従事しており、右業務には習熟していたこと(前記二1(二)(2))、一か月に一回の割合で行っていた四国への配送業務には、助手一名が同行して一郎の補助に当たっているほか、フェリー乗船中は休憩することができたこと(前記二3(四))、一週間に二回の割合で行っていた大分への配送業務は午前三時に門司工場を出発するというものであったが、右は納入先であるクロレラ本社が一郎が元所属していたレンゴーサービス株式会社の得意先であり、当時現地に午前八時に到着するという習慣がついていたため、本件会社の従来の出発時刻であった午前六時を一郎が自ら変更していたものであること(〈人証略〉)、一郎は発症前三か月間において休日労働を含め二四二時間四九分の時間外労働に従事しているが、その多くが右四国及び大分への配送によるものであること(〈証拠略〉)、及び、休日出勤の際に従事していたダンボール製造作業も梱包されたダンボールをパレットに積み込むという軽作業であること(〈証拠略〉)からすれば、一郎にとって門司工場における業務内容が特に過重であったとは認められない。

六  一郎の発症と業務起因性

一郎の発症当日の業務は下関市内の配送であり、下関物産ではダンボール二〇六枚、すなわち二〇枚を一束とした場合の約一〇束分を二階倉庫に運び込んだ直後に発症したというのである(前記二4)。

下関物産における作業は、一度に二束を運んだとしても五往復を要し、この場合一束の重さが約一五キログラムとして約三〇キログラムの荷物をもって階段を昇降することになるから(〈人証略〉)、右作業が一郎の血圧を一時的に上昇させたと考えられるが、前記のとおり一郎は以前から明らかな高血圧症の基礎疾病を有していたにもかかわらず、これに対する十分な治療を継続的に行っておらず、高血圧症による脳血管壊死が進行していた可能性が高いと認められること(〈証拠略〉)、右高血圧症の治療が不十分であったことについては、前記のとおり、一郎が医師の処方する降圧剤の服用に消極的であったことがその主たる原因と考えられ、本件会社の業務が一郎をして適切な治療を受けさせなかったと認めるに足りる証拠は存在しないこと、及び、一郎の業務が全体として特に過重なものではなく、下関物産における右作業も右一郎の業務の中で特に異常な負荷を加えるものとまでは認められないことを総合して考慮すれば、橋出血を原因とする一郎の死亡を、同人の業務に内在する危険が現実化したものと評価することはできず、一郎の業務と死亡の間の相当因果関係すなわち業務起因性もこれを認めることはできない。

七  結論

以上のとおり、一郎の死亡に業務起因性は認められないから、原告の遺族補償給付及び葬祭料の支給を認めなかった本件処分は適法であり、これを取り消す理由はない。

(裁判長裁判官 草野芳郎 裁判官 岡田治 裁判官 杜下弘記)

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